東京外国クラブ戦

ハンデを活かす。日本一のチームの中で。

無敵の8連覇に、1人の聴覚障害者

大塚貴之さんは聴覚障害があり、大学ラグビー無敵の8連覇を続けている帝京大学ラグビー部(2011~2015)で公式戦でもトライを決めるなどの活躍でチームを支えた選手。

今回は、その彼の凄まじさについて書きたい。(親しみを込めて大塚さんのことは以下、敬称略で書かせて頂きます)

メディアに多く取り上げられる彼は、この4月にもテレビに取り上げられている。

■放送の詳細
「ろうを生きる難聴を生きる」
2017年4月29日 放送回
NHK Eテレ 20:45〜21:00
<番組のリンク>
http://www.nhk.or.jp/heart-net/rounan/

帝京大学卒業後彼は、パナソニックへ入社。障害者雇用ではなく総合職での入社は聴覚障害者としては異例のものであった。筆者・尾中とは彼が大阪本社勤務の時に出会った。手話とラグビーが人生を語る上で欠かせない私にとっては、彼の話は非常に胸を打たれることが多かった。その後彼は、パナソニックのラグビートップリーグチーム(サッカーで言うとJリーグ)であるパナソニックワイルドナイツのプロモーションや子ども向けのラグビー普及事業を行うNPO法人W.K.S.Pへ転職。また、ラグビー選手としては日本聴覚障がい者ラグビーフットボール連盟(デフラグビー)の日本代表中心選手として、今もなお情熱的にラグビーに関わっている。

デフオーストラリア戦

大塚貴之の凄まじさ

言わずもがなのことではあるが、大学ラグビー8連覇というのは、まずもって凄まじい。昨年亡くなられた日本ラグビー界のカリスマ平尾誠二氏や大八木淳史氏などが活躍し一世を風靡した同志社大学の3連覇(1982〜1984年)も、今もなお華々しい栄光ではあるが、「8」という数字はそこから考えても凄まじい。当然、その成果の裏にある帝京大学ラグビー部の「組織論」「人材育成」といった面も世間の注目を集めている。大塚は、その環境を直に経験している。そしてさらに、チーム唯一の聴覚障害者として。

深く眠りにつかない4年間

最も衝撃的だったのが、睡眠についてだ。あのラグビーの激しさ、肉体の酷使、更に大塚は大学の成績も優秀で奨学生の認定を受けている、その中で、朝の練習に間に合わすために「深く眠らなかった」というのだ。正しくは、目覚ましのアラームが聞こえないために、携帯のバイブレーションで起きられるよう(携帯を睡眠中肌身離さず持つことは難しいらしい)、たまの休日以外は睡眠中も軽い緊張状態であったという。
自分の高校のラグビー部の経験で言うと、あの疲れ方で、浅い眠り…?想像もしたくない状況である。個人的にはその精神の強さとエピソードに最も凄みを感じた。

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聴覚障害というハンデを日本一のチームに活かせないか

ラグビーは、サッカーコートと同じくらいの広さのピッチで激しく体をぶつけ合い、起き上がり、またぶつけ合う。激しい消耗戦の中、随所で冷静な判断力が求められるという、体力と精神力が必要な競技である。大塚入学時には、既に大学ラグビーの頂点に君臨していた帝京大学にあって、選手に求められるレベルも高い。ラグビーのプロリーグである「トップリーグ」で一年目から活躍できるのは帝京卒の選手ぐらいだという声も聞く。
当然その裏には、厳しいトレーニングがある。大塚にとってもそれは同じだ。そして大塚は、その基礎と言える部分に神経を尖らせていた。

トレーナーがピッと電子笛を鳴らす。それを聞いて、選手は一斉にスタートを切る。長く早く走る300m走の基本のトレーニングだ。大塚には試合の時にもこの時にも、笛の音は届くことはない。ラグビーの激しさゆえ、補聴器も付けていない。周りの動きを瞬時に捉え、大塚はスタートを切る。長く早く走るというシンプルなワークに大塚の「ハンデ」は形を表す。笛の音が聞こえないことによるスタートの遅れである。
引退し、しばらく経った今、振り返って話を聞いても分かる。大塚はこの話題になると急に熱がこもる。燃えている。絶対に負けたくないという意識がある。

大塚はそのワークで一番にゴールすることを目指し、実践していた。スタートで出遅れる大塚に300mの終盤で抜かれた選手の心には、きっと大塚の心の火が燃え移っただろう。細かいことと思われるかもしれないが、「ハンデを活かす」この振る舞いによって周囲を感化していくことに、大塚はチームでの自分の存在を賭けていたという。

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大塚をつくり上げた幼少期の思い出

大塚は生まれつき、きこえなかった。彼の耳には、飛行機のエンジン音が至近距離で鳴っていても届かない。この事実は、幼少期から大塚の成長につれ本人も強く意識をすることになる。忘れられないのは、中学生時代の遠足だ。長距離を友人と歩くのだが、その道中、話せる友人がいなかった。出発のとき、校門を出る気にならず「行きたくない」と駄々をこねた。先生や親、大人が周囲を囲み、必死の説得を試みる。「自分が聴覚障害者である」ということが浮き彫りになるような時間だった。その日、大塚の母が掛けてくれた言葉が本人は忘れられないという。

「神様があんたをきこえなくさせたのよ。それは神様があんたに試練を与えたのよ」

真ん中が大塚さんの幼少期。当時の大型の補聴器をつけている。
真ん中が大塚さんの幼少期。当時の大型の補聴器をつけている。

その言葉に中学生の大塚は面白い解釈をする。「僕は、きこえていたらスーパーマンのような、度を超えたすごい人間になってしまったのかもしれない。それはそれで、みんなが困るだろうな・・・」この出来事がきっかけで、今まで深く考えることのなかった「聴覚障害」が大塚の中で、ある「方向付け」がされた。「聴覚障害」は自分を苦しめるだけにあるのではない…。その後、乙武洋匡さんの著「五体不満足」の一節に深く合点がいった。

「障害は不便ですが、不幸ではありません」

既にその時、大塚は仲間たちと楕円球を追いかけていた。たしかに不便は多いかもしれない。しかし、何一つ諦めずにできる方法を考えては実践し続けてきた。「障害」「困難」の見方を変える。大塚はそれによって大きな成長を遂げた。

出身である大分県の大分雄城台高校ラグビー部では主将を務めた。しかし、悲願の全国大会出場を賭けた大分舞鶴高校戦で惜敗。仲間たちと涙をのんだ。その後、スポーツ推薦で帝京大学へ進学。当時大学選手権2連覇後で勢いに乗るラグビー部へ入部した。目標はもちろん、大学選手権優勝である。

大塚さんにアシックス労働組合ASSISTのDIVE研修に来て頂きお話しをしてもらいました。
大塚さんにアシックス労働組合ASSISTのDIVE研修に来て頂きお話しをしてもらいました。

諦めない力は、夢や目標から生まれる。

大塚と一緒にいると、それだけで気持ちが引き締まる。彼は何事にも率先して取り掛かる。それが大塚らしさだ。彼が一生懸命やっているところを見ていると、自分もボーッとしていられないと思う。そうしていると、彼が聴覚障害を不利としていないことを感じる。過去のエピソードを聞けば、辛かったこともたくさんあったようだ。しかし、彼は諦めず努力したんだなぁと思う。

大塚は日頃、唇の動きを見て相手が何を言っているかを理解しているが、小さな頃は、話についていけずに唇を見ることを諦めてしまいそうになったことがあるそうだ。重度の聴覚障害者にとって、目を閉ざせば情報はゼロ。唇を見ることを諦めてしまえば、もう学校の先生の話もクラブのコーチの話もゼロになるのだ。でも、大塚は諦めなかった。「こうなりたい!」という大塚自身の夢や目標がそれを諦めさせてくれなかった。そうして彼は、これまでの聴覚障害者が歩まなかった道さえも歩むことができた。

大塚もまだ24歳、これまでの彼の人生に拍手と、これからの彼の人生には共に歩む仲間でありたいと思う。

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スーパーバイザーとして決定しました。

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NPO法人Silent Voiceとして聴覚障害・難聴児の教育環境の上記のような課題を解決するために大阪市内・谷町六丁目に放課後等デイサービス「DEAF ACADEMY」を開校します。「DEAF ACADEMY」は、聴覚障害・難聴児専門の総合学習塾です。クラウドファンディングのページの詳細を見て頂きご共感いただけた方はご支援のほどお願い致します。お知り合いに広めていただくだけでも大変助かります。

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