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きこえないワタシの心に刺さったトゲ(前編)

高橋 縁
高橋 縁

呼んでも振り向かない、話しかけても会話にならない。
わかりたかった。そして、笑ったり泣いたり、そんな当たり前を共にしたかった。
そんな、やすらぎが欲しかった。
ただ、ワタシの耳に声は届かなかった。

いまワタシはデフアカデミーの指導員リーダーとして、毎日オンライン授業を楽しんでます(‘ω’)ノ

ちょっと形は違うのかもしれない珍しいのかもしれないけど、いまワタシは幸せで、積み重ねてこれたのは周りのお陰がたくさんあったから。
自分の名前が、縁(ゆかり)であることにしみじみしながら、いまだからわかることがたくさんある、ワタシの人生を振り返ってみました。

きこえないと判った3歳の頃のお餅つき、手元のお餅を見て、周囲を見て

“訓練”とワタシ

ワタシは大阪北部の豊中という街に生まれた。人がたくさん住んでいて、でもビルがたくさんあるわけじゃない。あたりを見渡せば、子どもが走り回っていたり、スーパーの袋をさげたおばさん、ゴルフの素振りをしているおじさん。色んな人の生活が見えるような街。

きこえないと判ってから、街を出ることが多くなった。午前は家の近くの幼稚園で過ごし、午後は1時間少しかけて訓練に通った。駅に向かって、お母さんと手をつなぐ、というよりどこかへ行かないように、引っ張られていた。歩いていく中で流れていく地面のスピード、今でも覚えている。

まわりはきこえる人ばかりで、ワタシは発音の訓練、先生の口を読む訓練、とにかく訓練。常に先生の口の形を見て同じ言葉を繰り返すだけの訓練。
教室にあったマジックミラーの向こう側でお母さんが見ている。ちゃんと座れなかったり、発音できなかったりしたら、後から叱られる。お母さんの気持ち、子どもなりに感じるんだよ。だから、お母さんというより、あのミラーが嫌いだった!

訓練から帰って、妹がぽつんと部屋で一人で本を読んでいた。それを見て、胸が痛んだことを覚えてる。大きくなって「叔母さんが保育園に迎えに来たよ。なんでお母さんじゃないの!」と妹が云ったという昔話を聞いた。あの頃の、胸の痛みが戻ってきたよ。
叔母さんも家族の誰も悪くない。ただ、自分がきこえないことを責めたことはあったかな。

小学校に入る前のワタシと3歳の妹

“サボテンのトゲ”とワタシ

小学校に入るころ、お母さんは先生たちにずっと頭を下げていたな。どんな話をしているのかわからなくて暇で仕方なかった。いま思えば、きこえない子どもはワタシだけだったから、そのとき母が何を言っていたのか想像ができる。
学校が始まると、同い年の男の子と女の子がワタシの周りに集まってきて、補聴器を指差して何か言ってる……何かがあふれ出しそうで、そこから走り出したい気持ちになった。

わからないとき、そこに留まりたくなくなってくる。そんな衝動を何回も感じた。

ワタシが走り出した先、ひとりで眺めていた校庭。遊んでいるみんなの姿の横に、謎?!!なものがあった。見たことのない、不思議な感じで、やわらかいのか?かたいのか?フワフワしてるのか?好奇心に駆られ、触った。
その時、手のひら全体にトゲが刺さった!めちゃくちゃ痛くて大泣きした。大人たちが、慌てて保健室に運んだ。
トゲを時間かけて取って湿布をしたが、痛みがずっと取れなかった。
近所のばぁちゃんにそれを伝えたら、これを塗って、サランラップをしたら治るよと言われた。信じられなかったけど、やってみた。朝起きたら、綺麗になって痛みも取れた。
この時に、謎のものは「サボテン」だったこと、触ったら痛いということを初めて知った。
以来、ワタシは「サボテン」が怖い。

サボテンの痛みを感じた頃から、耳がきこえないことを自覚し始めた。
合唱会では口パクで、半歩下がって見える位置に立ってみんなの動きに合わせて左右に揺れる。
英会話では、機械にカードを差して英語の発音が流れたらカードを取る。一枚も取れなかった。
プールでは、終わりの笛がわからず泳ぎ続けた。ワタシの身体は水面から引っ張り上げられた。

ワタシが暮らしていた環境で、きこえないということは、サボテンのような痛みとともに、いつもワタシを独りにした。心に刺さったトゲを、どうすればいいのか。誰か、あの近所のばぁちゃんみたいに教えてよ…。

“仲間”とワタシ

サッカーボールを蹴ると受け止めてくれる相手がいた。ワタシがドリブルで敵をかわせば、どっと沸くように味方が前方に駆け出していく。ワタシはこのチームの中にいる。
クラスのみんなに補聴器を掴まれたことも、サボテンのことも、ほかにももっとたくさんの時間で、ワタシは一方通行なものばかりに触れていたと知った。
誰かを助けることや助けられること、応援したい気持ちや応援されること、ワタシは気づけばサッカーに夢中になっていた。
あまりに遅い時間まで、ボールを壁に向かって蹴っていたから、次は近所のばあちゃんに怒られてしまった…!

小学校6年生になる頃、担任の先生に「お前、サッカー部に入りたいんだろう」と言われて図星だった。「女の子はサッカー部に入れないんでしょ?」と聞いたら「関係ない、お前がやりたいかどうかだ」とサッカー部の顧問のところに連れて行って話してくれた。
顧問は「いや…女の子だからね…それに補聴器が…」と困った顔をしていた。でも担任の先生は「だからなんなんだ、だからって入れないのか、それじゃ理由にならない!」と怒鳴り調子。「やりたいってちゃんと伝えなさい!」とワタシに話を振った。
しどろもどろで、でも意志は固かった。ワタシは「やりたい!」と伝えた。

自分のやりたいことを、自分で決めても良いんだ!
期待感に膨らむ心に、刺さったトゲもポロッと取れるようだった。

初めて自分で掴んだ自分の時間、自分のやりたいこと。サッカーに対してすごく気持ちが入っていた。そんなある日、同級生から「お前キャプテンやれ」と言われた。ワタシは拒んだけれど「俺ら手伝ってやるから」という同級生のことばに、半信半疑ながらやってみることにした。

キャプテンになって初めての練習日、下級生がボールに夢中になって集まってくれなくて困っていた時に「手伝ってやるから」と言った同級生が下級生を集めてくれた。練習後、同級生に「ありがとう」を伝えるとき、心が震えてしまった。涙が出そう。なんて素敵な言葉なんだろう…!

少しずつ自信がつくようになり、色々なことに挑戦してみよう、という気持ちになる。

後半へ続く

原文/高橋 縁
編集/尾中 友哉

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高橋 縁
高橋 縁
NPO法人Silent Voice デフアカデミー指導員リーダー、1984年、大阪府豊中市出身、子どもの頃の夢はサッカー選手。18歳でろう学校専攻科に入学。日本手話に触れ、言語獲得と共にアイデンティティ確立の瞬間を感じる。2011年デフフットサル日本代表に選出、引退後はキッズサッカー教室運営やスポーツ体験企画「デフスポ」を運営。日本のろう児・難聴児の支援環境を向上するために奮闘中!
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