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聴覚障害を「左利き」みたいにしたい

尾中 友哉
尾中 友哉

「障害」がひとつのテーマとして活動していると、よく耳にする話がある。

メガネが今の時代なかったら、俺も立派な障害者やで

誰か

おぉおぅ…まぁでも確かに。
昔の武士は視力が低いと御役御免になるとか、聞いたことあるなぁ。

自分もメガネに救われている身として、ある程度うなずける。

ここから思うのは、
「障害」はモノによって解決することがあるということ。

しかし、その方法だけで全てが片付くとは思えない。
様々な原因で、生き辛い、困っている人を100人並べたとして
必ずしも、視力が低い人のようにメガネというものが存在するとは限らないからだ。

今の時代で、モノに頼った解決をできない人がそこに並ぶことになるだろう。
聴覚障害者で、そこに並ぶ人もあるだろう。
医療やハード(モノ)の新技術の中に、まだ完全に「聞こえる」状態は実現できていないからだ。

これまで新技術を追い求める、子どもが難聴アリと分かったばかりのお母さんとも会話をしてきた。
「きこえるのが当たり前、だから我が子をきこえるようにしたい」の裏返しにある
「きこえないことは不幸」ということが、僕のポリシーに反したとしても
眼の前で、我が子の将来を案じる親の気持ちに、心底共感した。

そんな自分のもどかしさなんてどうでもいいくらい、
新技術で困りごとを解決できることは多い。僕もその推進に携わりたい気持ちはある。

その前提で今を見つめる。

どうすれば、良い変化が起きるのか、日常の中に私たちに起こせる変化は何か。

いろんな事例を見ていくと、日本における「左利き」の扱われ方の変遷が興味深い。

MEMO

右手を使えない人間は人として不自然であり、その不自然さ故からか、左利きは身体障害者という思い込みが強かったようです。
学校では左手で字を書くと、厳しい折檻が待っており、左利きの子はコンプレックスを持つようになります。
そのせいで、引っ込み思案になったり、右利きへの矯正の辛さから精神疾患を患い、また更に差別されるという悪循環も生じていました。
日本では、女性は左利きだと結婚できないとまで言われ、左利きを隠したまま結婚しても、ばれた時点で離縁されるというありさまでした。
(引用:「左利きの謎」https://hidarikiki.biz/episode/discrimination1.html

え?まじで?
左利きの人、今の時代でも困ることありそう(昔よりは減っただろう)だけど
ほんとにどれだけ正直に話しても、28歳の私には差別意識がありませんし
私の周囲にも、目立った差別的行為を見かけたことがありません。
というか、もし左利きを差別して人を傷つけるようなことを見たら、かなり引いてしまいます。

きっと、差別が当たり前の時代
「左利きやけどなんか文句あっか??!なんで特別扱いされなあかんねん!」とか
「私は左利きだから、結婚が不利になるかもしれないわ…」とか
いろんな気持ちがあったんだろうな。

この左利きに関する記事を読み進めると、
日本においては戦後に、それまで当たり前のように存在していた差別意識はなくなっていったそうです。

更に調べると、戦後に登場した「左利きでマイクを持つ歌手」
「プロ野球における左投げの投手・左打ちのバッター(王貞治もだ!)」「左利きのお笑い芸人」などなど…
テレビの登場によって、そういった左利きの人々の活躍が大衆に知られて変わっていったようです。

要するに、悪いと思っていた「左利き」の活躍を見ることで
人々の左利きへの「認識」が変わっていった。ということです。

僕は、障害をモノで解決していくのと同時に
この「認識」の問題解決も重要と思っています。

この左利きのエピソードが証明しているように、
左利きであることそのものが「不幸」ではないんです。

あらゆる身体的「欠陥」と言われてしまうようなことも
本質的にはそれそのものが「不幸」ではないと思うんです。

この考えに確信をくれているのは、僕の耳の聞こえない両親です。
「きこえないこと」に対して、全く違う人生の眺め方をしている父と母。
「きこえないから得られた幸せ」と、「きこえないからできなかった」という違いがあるのです。
でも、この二人の聴力は、ほぼ同じなんです。

障害に対する「認識」以外の他なりません。 「認識」とは、自分とその対象の関係性です。

 

「認識」だから時代と共に変わる。
「認識」だから変えられる。

現代社会に当たり前に存在している色んな「偏見」「認識の仕方」あるけれど
ひとつひとつに常識を疑う目を持てば、過去の「左利き」のような人々を救えるかもしれない。

僕は変えたい。僕たちと一緒に仕事をしている人たちに気づいてほしい。
気づいてもらえるような仕事をしたい。
きこえないこと、それがそのまま不幸ということでは絶対にない。

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この記事を書いた人
尾中 友哉
尾中 友哉
株式会社およびNPO法人「Silent Voice」代表。1989年、滋賀県出身。聴覚障害者の両親を持つ耳の聞こえる子どもとして、手話を第一言語に育つ。大学卒業後、東京の大手広告代理店に勤務。「自分にしかできない仕事とは?」について考える。2014年から聴覚障害者の聞こえないからこそ身についた伝える力を活かした企業向け研修プログラム「DENSHIN」や、聴覚障害・難聴のある就学児向けの総合学習塾「デフアカデミー」を展開し、聴覚障害者の強みを生かす社会の実現に向けて活動している。2018年、青年版国民栄誉賞といわれる人間力大賞(主催:日本青年会議所)にてグランプリ・内閣総理大臣奨励賞および日本商工会議所会頭奨励賞を受賞。
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