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目が見える人が多数派である限り、成澤俊輔は繁忙期だ。

尾中 友哉
尾中 友哉

その人は、白杖を持って税務署に訪れた。確定申告の書類を受け取った職員が目を丸くする。この白杖を持った人がこの金額を稼ぎ出したのか…?

きっと、職員の人たちの”目が見えない人”のイメージが広がった瞬間、理解ができない瞬間、それを置き去りにして、白杖をついたその人は習い事のキックボクシングのことを考えていた。

今回は、株式会社Silent Voiceの社外取締役である成澤俊輔さんにインタビューを行った。株式会社Silent Voiceのミッションに据えられている「優劣のものさしを変える」これを体現する事業づくりに関して考えを深めるにあたり、体現している人は誰か?を考えると、まずは世界一明るい視覚障がい者の異名を取っている成澤俊輔さんに話を聞こうとなった。

単に「お金を稼いでいるからすごいよね」「障害者なのにすごい」と言いたいわけではない。ただ、今の社会においてマイナスに考えられがちな「目が見えないこと」に対して、そうではない感覚で生きている成澤さんご本人や周囲との関わりに大きな興味を持って記事を作成した。

成澤俊輔さん

1985年、佐賀県生まれ。徐々に視力を失う難病・網膜色素変性症を持つ。視覚障害による孤独感や挫折感から大学在学中に2年間引きこもる。復学し、経営コンサルティング会社でのインターン経験などを重ね、2009年に独立。
2011年12月、就労困難者の就労支援と雇用創造をするNPO法人FDA事務局長に就任。就労困難者の「強み」に焦点をあてた、相互に働きやすい環境づくりに取り組む。
キャッチコピーは「世界一明るい視覚障がい者」。
2016年8月より同法人の理事長に就任。2018年第8回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞・実行委員会特別賞を受賞。
2020年4月に理事長を退任・事業承継をし、現在は約60社の経営者の伴走を行う。

成澤さんのキックボクシングの様子

成澤さんは、キックボクシングにハマっている。暗室で光るターゲットを目がけて蹴りを入れて今日も汗をかく。もともと運動をあまり楽しいとは感じず、進んでやることはなかったが、成澤さんはあることに気づいたという。

「ボーリングは投げてから、ピンが倒れるまでに時間がかかる。だから、あまり倒したという実感がわかない。ビリヤードは打った瞬間にボールの動きを音から感じることができる。キックボクシングは打った瞬間、音と感触が同時にやってくる。このリアルタイム性が楽しい。」

筆者尾中は目が見える。何かの動きのあとに音が鳴る「時間間隔」、これが「楽しい」につながるとは、思ってもみなかった。ここに、成澤さんの見つけ出した”新しい変数”が存在している。決して、目が見えない人だけがそれを楽しいと感じるわけではないと思う。むしろ、見える見えないを超えて共有体験を生み出せるヒントがそこにある。

成澤さんはこの”新しい変数”を言語化しては、周囲を驚かせている。成澤さんとメディアアーティスト・落合陽一氏が発起人となったプロジェクト「DIVERSUSHI(ダイバースシ)」も、「お寿司」という和食料理の中に、直接手で持って食べれる・こぼさないという「食べやすさ」を発見し、フランス・イタリア・中華料理へ応用して話題となった。

「違うモノの見方ができて、有益な気づきを生み出せるってすごいなぁ」と筆者は思う。これって思考法だったり、デザイン手法として再現性があるのかな、そんなことを考えて成澤さんのエピソードをさらに聞いてみた。

高校時代の成澤さん

成澤さんは学生時代、「偏差値」というものさしで自分や周囲を測っていた。周囲から期待されることがあまりなかったため、勉強を頑張って、自分で自分に期待する状況を作った。「偏差値」は人と比べやすく、また人から比べられやすかった。「成澤が良い点数取っている」という噂が広まれば、テスト前に勉強を教えてくれと集まってくる人がいる。当時は人に頼られる貴重な経験だった。

今の成澤さんが当時の成澤さんを見たら「おつかれ〜」と言いたいそうだ。どこか自分を見失っていて、そのことにも気づかず頑張っていた自分に、お疲れ。

当時は、”健常者”は「何でもできる人」と思っていた。自分も「何でもできる人」になれば、働ける、人に好かれる。と、信じていた。いま思えば「曖昧すぎる目標だった」と振り返る。

転機は、大学時代にベンチャー企業にインターンで参加したころ。”健常者”ばかりだったが「何でもできる人」なんて、どこにも居なかった。むしろプレゼンだけできるとか「これだけできる」人たちが、そこに集まっていた。
大学受験で言えば、総合点を競うのではなく、一芸に秀でて合格した人たち。その人たちと居ることが、楽しかった。自分がコミュニケーション能力やプレゼン能力に自信を持っていることに気がついた体験だった。

それから、目が見えないことにも自分なりに意味を見つけるようになった。

目が見えないと「怖さを感じづらい」と気づく。高いビルから下を見下ろすこともない、スケボーで見事にコケる人も見たことない、否定的な表情で話を聞く人の顔も見えない、目で入ってくる”怖さ”がない。視力2.0なら、本当にみんなハッピーなのか?

「こう見られているから、こうしよう」と思わなくなっていった。マイワールド全開の今が楽しいことに、全てがつながってきた。

今も時々、見えなくて一人で苦しい思いをすることもある。最近はサーカス。見えなくて分からないことがたくさんあった。でも、ファイヤーダンスが気になって、ファイヤーダンスをやっている人に会いに行った。目前のファイヤーダンス。熱い…そして、目の端に炎の光が映った。そこに”サーカス”を感じて打ち解けた。こんなときに、見えないことは大きな問題ではなくなる。

「偏差値」「何でもできる」かどうかで価値を測ることは、もう成澤さんの中では経験であり過去である。今は「やったことがないことをやってみたか」というものさしを持って生きている。そこにまだ、眠っている、自分だから見えるものを言葉に変えていく。

2024年9月には、あのファッションショーのパリファッションウィーク(いわゆるパリコレ)に登壇する仕事が決まっている。目が見えない人の参加は初となる。筆者としては、成澤さんが何を着るかよりも(笑)、成澤さんにとってファッションとは何なのか、その最高峰に立って何を感じるのかを楽しみに思ってしまう。また話を聞かせてもらうべく、お願いをするつもり。きっと、多くの人が成澤さんの言葉を心待ちにしているはず。

目が見える人が多数派である限り、成澤俊輔は繁忙期だ。

「優劣のものさしを変える」って何?株式会社Silent Voiceのビジョン・ミッション

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この記事を書いた人
尾中 友哉
株式会社およびNPO法人「Silent Voice」代表。1989年、滋賀県出身。聴覚障害者の両親を持つ耳の聞こえる子どもとして、手話を第一言語に育つ。大学卒業後、東京の大手広告代理店に勤務。「自分にしかできない仕事とは?」について考える。2014年から聴覚障害者の聞こえないからこそ身についた伝える力を活かした企業向け研修プログラム「DENSHIN」や、ろう・難聴児向けの総合学習塾「デフアカデミー」を展開し、聴覚障害者の強みを生かす社会の実現に向けて活動している。2018年、青年版国民栄誉賞といわれる人間力大賞(主催:日本青年会議所)にてグランプリ・内閣総理大臣奨励賞および日本商工会議所会頭奨励賞を受賞。
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